反則金1万2,000円と、「根本解決」について考えた朝
朝、妻と外出したある日。
ほんの少し気を抜いた瞬間にねずみ取りに捕まりました。笑
そこは、地元では有名なスポットで、警察が頻繁に取り締まりを行っている場所。
「どうせ今日もやってるだろう」と頭の片隅にあったはずなのに、そのとき僕は少しだけよそ見をしていて、気づいたときにはもう遅かった。
結果は、反則金1万2,000円。
何度目かのスピード違反。やっぱり反省はします。
もちろん、違反したのは自分。
悪いことをしたのだから、罰を受けるのは当然です。
でも、そんな自分を責めつつも、心のどこかで思ってしまうんです。
「これって、根本的な解決になってないよな…」
同じ過ちを繰り返す自分と、変わらない社会の仕組み
ねずみ取りは、確かに“抑止力”にはなるかもしれません。
だけど、捕まった後に「また気をつけよう」と思っても、時間が経つと元通り。
こうして何度も引っかかってしまう。
それって本当に、意味のある取り締まりなんだろうか?
運転者の注意力に頼りきった仕組みでは、いくらでもすり抜けが起きてしまう。
最近の車には、制限速度を表示してくれる機能もあれば、GPS連動で速度を制御できる技術もある。
であれば、「その道路で出せる速度以上は出せない車」が当たり前になってもいいのでは?とも思います。
そうなれば、
- 警察官の業務負担も軽くなる
- 不必要な反則金も減る
- 事故そのものも減る
つまり、「注意喚起」や「罰則」に頼らなくても済む、安全な社会を技術で作れるはずなんです。
対症療法に頼る社会と、根本を見つめる力
この出来事を通して、僕がふと思い出したのが“医療”のこと。
- 西洋医学は、今起きている症状を抑える「対症療法」
- 東洋医学は、体質や生活のクセなどを見直して整えていく「原因療法」
たとえば、頭痛が起きたときに薬を飲むのが対症療法。
一方、そもそもなぜ頭痛が起きるのかを探り、生活習慣や姿勢を見直すのが原因療法です。
どちらも必要だけれど、本当に大切なのは「再発を防ぐ」こと。
ねずみ取りにしても、医療にしても、根っこの部分に目を向けないと、同じ問題が繰り返されるばかりです。
小さな“未然の行動”を積み重ねる
「わかってはいるけど、できない」
人間って、そんな存在かもしれません。
でも、そんな自分を責めるよりも、日々の中で“小さな予防”を積み重ねていくことが大切なんじゃないかと思います。
- 車の運転においては、「よく取り締まりをやっている道」はナビに登録しておくとか。
- 生活や仕事においては、「また同じことでつまずかないように仕組みを作る」こと。
些細なことでも、意識的に「未然に防ぐ行動」がとれるかどうかで、人生の質は大きく変わっていく。
青い反則切符は、ただの罰金ではなく、そんな自分へのメッセージだったのかもしれません。
あなたは、どんな“繰り返し”に気づいていますか?
そして、それに対して、どんな根本的なアクションを起こそうとしていますか?
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