―― 母を看取り、娘が生まれたことで気付かされた日常という奇跡 ――
2025年4月に母を亡くし、その2か月後に娘が生まれました。
別れと出会い。
命の終わりと、始まり。
同じ年にそれが訪れるなんて、人生って本当に思い通りにいかないものだと思い知らされました。
母の死と娘の誕生を通して、
「命とは何か」「家族とは何か」をあらためて考えるきっかけとなった記録です。
書こうと決めたのは、悲しみや後悔を昇華させたいというよりも、
母が遺してくれた“教え”を、自分の中にちゃんと刻み込んでおきたかったから。
そして、今この文章を読んでくれているあなたにも、
「日常の尊さ」や「家族のあたたかさ」を少しでも感じてもらえたらと思っています。
「大丈夫、大丈夫」と笑っていた母のこと
2025年4月10日、夜10時過ぎ。
母は静かに息を引き取りました。
桜が満開の夜でした。
がんのステージ4。
余命半年と宣告されてから1年と9ヶ月。
週に一度、腹水を抜く日々の中で、母は明るく振る舞ってくれていました。
「大丈夫、大丈夫」って。
きっと、自分を奮い立たせるように。
そして、僕たち家族を安心させるように。
本当はきっと、怖くて、苦しくて、不安でいっぱいだったと思うんです。
それでも母は、母としての役割を手放しませんでした。
最後の最後まで、「家族の時間」を大切にしようと、生きてくれました。
思い出す、母への八つ当たりと甘え
家族から弔辞をお願いされたとき、なぜか自然と「自分がするべきだ」と感じていました。
たぶんそれは、兄弟の中でいちばん甘えん坊で、いちばん迷惑をかけてきたという自覚があったからだと思います。
小さい頃は、嫌なことがあると母にぶつけてしまったり、
なんでも「母ちゃんのせいだ」と決めつけたり。
恥ずかしいけれど、そんな自分でした。
それでも母は、ちゃんと叱ってくれて、ちゃんと笑ってくれて、
どんな時も「味方」でいてくれた。
父には言えなかったことも、母には話せました。
こっそり助言をもらったりして、自分を保っていた部分もあったと思います。
子どもの頃は、それが当たり前だと思っていた。
でも今、大人になって、親になって――
ようやく、それがどれほどの愛情だったのかに気づきました。
叶わなかった願い
母は、最後まで「孫を抱きたい」と言っていました。
僕にとっては初めての子ども。
母にとっては6人目の孫になるはずの命でした。
4月10日の朝、母が入院している病院を一度出て、妻とお腹の赤ちゃんと花見に行きました。
春風のなかで見上げた満開の桜を、今でも忘れられません。
その夜9時すぎ、父から連絡がありました。
「病院から連絡きた。呼吸が浅くなってきたみたいだ」
慌てて病院に駆けつけ、親戚たちも集まってくる中、
最後に母のお母さん、つまり僕の祖母が到着しました。
祖母が母に声をかけたとき、母はかすかに声を出しました。
何を言っていたのか、誰にもわかりません。
けれどあの瞬間、言葉じゃない何かが確かに伝わった気がしました。
娘の誕生と、命のリレー
出産前夜のこと。
妻がこんなことを言いました。
「なんか、今日お母さんがそばにいる気がする」
その言葉を聞いて、僕は胸がざわつくような、でもあたたかいような、不思議な感覚になりました。
そして明け方、妻が破水。
病院に入り、そのまま帝王切開となりました。
帝王切開は突然のことだったけど、病院にいたおかげで娘の誕生には立ち会えました。
「おぎゃあ」と声を上げた瞬間――
全身がふるえるような、言葉にならない感情が押し寄せました。
嬉しさと、寂しさ。
命の奇跡と、喪失の記憶。
その両方を、たった数秒の間に体験した気がしました。
母に抱かせてあげたかった。
きっと母なら、優しくてくしゃっとした笑顔で
「可愛いねぇ」って言ってくれたんだろうな。
でもその願いは、もう叶わない。
だからこそ僕は、この娘を、母がくれた愛情で包みながら育てていこうと、心に決めました。
日常こそ、人生の本番だった
今、僕は義理の両親と、義祖父母と、妻と娘と、6人で暮らしています。
賑やかで、気を遣うこともあるけれど、
こんなにも家族のぬくもりに包まれている日々は、どこか懐かしくて心地いい。
母が生きていたときは、もっといろんな話ができたはずだった。
もっと時間をつくって帰れたはずだった。
でも、あのときの“後悔”を、
これからの“選択”に生かしていくことが、僕にできる供養だと思っています。
毎日のなかで娘の成長に気づくたび、
母の姿が重なります。
なんでもない日常の中に、母からのギフトが息づいているのを感じます。
おわりに|日常は、永遠ではないからこそ宝物なんだ
母の死と、娘の誕生。
その2つの出来事は、僕にとって人生の大きな転換点でした。
命は永遠じゃない。
だからこそ、感謝も後悔も、もっと早く伝えるべきだった。
でも、その「伝えそびれた思い」は、今からでも娘に伝えていける。
母がくれた愛情は、ちゃんと僕の中に根付いていた。
これからは、それを僕が手渡していく番です。
命はつながっていく。
愛も、教えも、記憶も。
「日常」を大切にするという心も。
日常は、永遠ではない。だからこそ、宝物なんだ。
母が遺してくれたたくさんの「ありがとう」を胸に、
これからも、家族と共に、一歩一歩、歩いていこうと思います。
読んでくださったあなたにとっても、
今日という一日が、当たり前ではなく、大切な一日になりますように。
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